「数式組版」の難しさは、コンテキスト依存の多さが原因?

数式組版www.lambdanote.com

「数式組版」も積んでいた書籍でした。WebAssembly周辺のことが終わったら、次に何をしようかな、と考えているところで、いくつかの案の中から選んでいるところです。せっかく自分で動くVMが作れたなら、いろいろその上に乗っけてみたいですもんね。とはいえ、数式を組版したいというわけではなく、間接的にちょっと気になる内容があって改めて目を通しました。

わたしはこういった方面は全くのど素人です。なので、読んだ最初の感想は「こんなにたくさん考慮すべき内容があるのか(そしてきっとその片鱗しか見えていない)」という当たり前であろう内容でした。普段読んでいる数式が登場する書籍は、本当にたくさんの手間が掛けられて世に出されているんだろうなあ(こなみかん)。

さて、もう少し引いて見てみると、組版の難しさがどこから来ているのか、というのは大変興味深い疑問のように思います。プログラミングをするときには、よく「分割統治」がコツとして紹介されています。問題を分割して、個別に解決した後、それらを統合するのだ、ということです。しかし組版の場合、その難易度が高く、それこそが組版という作業が大変な理由ではないかと感じました。人間が、まず内容として、(コンピュータとしてはOKなのだが)おかしなところはないのかをチェックし、次に全体的なレイアウトの「バランス」を確認し、といった工程を経ないとゴールには辿り着けない。そして、バランスを調整するために文字が移動させられる。

これって、最小単位である文字(という表現は正しくない気もしますが許してください)から見ると、前後の文字、置かれる行、上下の行、属する段落、ページ内の他の要素との関係、ドキュメント全体での位置づけ、すべての要因が、極端でもなんでもなく、文字の位置を微調整させる要因になりうるわけです。これはきつい。道理で、TeXの出現以降、ほとんど唯一のツールとして今だに君臨しているわけです。こんな、あらゆる意味で解きづらい問題、簡単に手を出してしまうとかえって痛い目に合いそうで近寄れないですもんね。

ただ、このブログもそうですが、Webで文章などを表示する際には、そこまでの労力は払われてはいません(それでも大変なことだとは思いますが)。箱にテキストを流し込む、その中でなんとかする。つまり、しっかりした組版と比較すると、分割統治が可能な範囲でがんばっているように見えます。そして正直なところ、これからはその方面が主流になっていき、組版は高価なものの扱いになっていくんじゃないでしょうか(すでにじわじわそうなっているようにも見えます)。わたしも、好きな雑誌を買うときには、やっぱり印刷された状態でほしい。電子書籍で買うときでもせめて、レイアウトは流し込みじゃなくて固定がいい。そのレイアウトも含めて読みたいんです。逆に流し込みでがっかりしたことも何度もあります。美しい紙面とか、ずっと眺めていられます、個人的には。

さて、何の話だったっけ。個人的には、ここらへんは計算幾何とかも絡んでいるのかな、という超勝手なイメージですが、また書けそうであれば…