「お子さま」の覚悟

去年からほぼイベントらしいこともなく、新年が始まった。とはいえ、ここ5年ほどは毎年こんな感じだ。テレビもないしそもそも行事めいたことに労力を割く習慣がないので、少しずつ、年末年始はただの冬休みへと、粘性が高めのまま、変化し続けている。それでも微かに残る習慣が節目を作ろうと、こんな風に文章を書き始める。

去年はコロナがなくとも、なかなか激変の一年だった。転職したからだ。一年前はまだ転職活動中で、内定が出たのが3月。まだぎりぎり、国内出張が許されていた(そのくせマスクの着用は義務だった)。いろいろあってまったく休みなく職場が変わり、私は新しい会社での「完全リモート正社員第一号」の称号を与えられた。その頃のことはこのブログに書いているが、コミュ障がコミュニケーションの大切さを再び思い知らされるといういい機会になった。

秋口からは巡り合わせもあり、対外的に期限が設けられている、地味で大きなプロジェクトのリーダーをやることになった。会社に慣れている身だったら引き受けないように忍足で逃げていたところだが、Zoomで数人としか話せない数ヶ月を過ごしていた自分に上司が「社内のたくさんの部署の人間と関わることができるいい機会だ」と言われ、それもそうだと喜んで引き受けた。珍しいことだが、それぐらい会話に飢えていたとも言える。

元々キャリア的にも少しずつマネージメントは行なっていたので、その点で戸惑うことはないものの、やはりそれなりに規模の大きい会社なので単純に物量が違う。それまでと打って変わってIDEを開けることもDockerで遊ぶこともなくなり、ExcelというかGoogle Spreadsheetを眺めたりスライドを作ってばっかりの日々がまだ続いている。

この立場になって感じるのは、というか薄々わかっていたことではあるが、自分は「エンジニア」気質ではないな、ということ。プログラミングは大好きだが、どんな題材でも楽しい、というわけではない。大学の時に数学基礎論分析哲学をかじるような人間だし、正直、現時点でも興味の対象は当時からほとんど変化がないと言っていい。課題に対して情熱的にパッチを当てながら穴を少しずつ塞いでいく、という現実的な対処の仕方はこれだけ経験を積んでもまだ好きになれない。一見複雑な現象を切り分け、もしくは抽象化して、少ない「ことばかず」でクリアしていきたいのであって、力任せにたくさんソースコードを書きたいのではない。

さて、困ったのは、現在の会社はその意味で、私の気質とは正反対の経過を経ていて、しかも劇的な成長を続けている、という事実だ。「きれいなものをつくる」と「ビジネス的にうまくいく」が両立することはないとわかってはいても、いざ眼前に、自分の解くべき課題として立ちはだかると今までの「お子さま思想」が揺らいでしまう。でもだからこそ、今回の転職はうまくいったな、と感じる。まだやったことのないおもしろそうな課題であることも、間違いないからだ。自分がどこまで現在のスタンスを貫けるのか、現実というやつと戦ってみようと思う。